2016年7月31日西武池袋線 沿線サイクリングに行きました。
西武池袋線 沿線サイクリングとしては今回が3回目の投稿になります。
1回目の投稿はこちら↓
2回目の投稿はこちら↓
3回目のスタートは富士見台駅からになります。
富士見台駅は1回目で最後に訪れた駅です(10:03) ここは東京都練馬区
(通算11番目の駅になります)
開業当初は地名をとって貫井駅でしたが、富士見台と改称
まあ位置がぼやけますが、駅名としては何となく好印象な名前になりましたね。
それでは西武池袋線 沿線サイクリング③のスタート~🚲
<次は練馬高野台に停車いたします>
🚲・・・
↓
通算12番目の駅は練馬高野台(10:22) ここは東京都練馬区
1994年12月開業。西武線で一番新しい駅です。(2021年8月現在)
計画時、駅名の仮称は「東石神井駅」だった。
だが最終的には地名にちなんで高野台としたかったけど、
頭に練馬がつきました。
練馬をつけたのは西武国分寺線の駅に「鷹の台」があるので
同音になってしまうのがその理由らしい。
それなら個人的には東石神井駅にしてもよかったけどね。
<次は石神井公園に停車いたします>
🚲・・・
↓
駅名看板がボケてしまいましたw
ちょうどいいところにあった駅看板。背景はともかくとして・・・(10:30)
建設中の建物は駅ナカ商業施設
「エミナード石神井公園(サウスエリア)」
の建設工事でした。
練馬-石神井公園駅間の鉄道高架化を行っていました。
高架化によって新たに生まれた
この駅の高架化空間と、
駅周辺の開発の一環として
サウスエリアは2017年3月1日がオープンしたことで、
2012年から着工されたこのエミナード石神井公園もこれで完成しました。
きれいな駅前になりました(10:32)
<次の停車駅は大泉学園>
🚲・・・
↓
ここには大泉学園という学校は存在しません。
それなのにどうして大泉学園になったのか?
関東大震災で下町が焼け野原になって、
都心から郊外へ移転する動きのなかで、
が移転先を探していた。
それで箱根土地株式会社(コクドの前身)が
大泉学園の北側の土地を購入しており
東京商科大学の誘致をしていた。
(コクドは2006年にプリンスホテル吸収合併し解散)
この時点で「大泉学園都市」として分譲をしていました。
東京商科大学は隣駅の石神井に運動場を購入していたことからして
箱根土地としては誘致に成功すると考えていたようです。
施設があったことを示すものがありました。
しかし東京商科大学の移転先は期待むなしく
分譲時の学園都市の名前だけが
残ってしまったということのようです。
当時学校の誘致には失敗しましたが、
東映の撮影所があります。
学校なんてどこにでもありますが、
撮影所なんて学校ほどはありませんからね。
東映アニメーション(旧:東映動画)が最寄にあり代表作品でもある
銀河鉄道999(10:48)
この駅には999ネタが他にもあります。
999の「車掌」さんの像があるようです。
この「車掌」さんが名誉駅長になっているそうです・・・。
反対側の南口(10:51)
🚲・・・
↓
できた市でありその名残とも言える駅です。
名残で言うと光学機器・ガラスメーカのHOYA株式会社(東証一部上場)は
創業の地がここ保谷のようです。
(創業時[1941年]は東洋光学硝子製造所で保谷を冠したのは
1947年で(株)保谷クリスタル硝子製造所)
コンタクトレンズでこの名前を聞いたことがあります。
地名の歴史にもひとネタあって
江戸幕府に書類を提出するとき、
誤って保谷と書いてしまったとして現在に至っているとか。
江戸時代の文献では「穂屋」「穂谷」が用いられていたようだ。
お米がよく取れたのかな?
<次の停車駅はひばりヶ丘>
保谷駅南口(11:09)
🚲・・・
↓
16番目の駅はひばりヶ丘(11:22) ここは東京都西東京市
田無町駅で開業した駅です。
田無駅は開業していなかった)
つくられたことで駅名を改称。
北口を出るとすぐに新座市と隣接しています。
県境が近い駅です。
<次の停車駅は東久留米>
全席レストランの車両「西武旅するレストラン52席の至福」📷(11:24)
🚲・・・
↓
落合川を渡ります(11:34)
落合川は水がきれいです。(11:34)
傍に南沢湧水群があります。
湧き出た水が落合川に流れ込んでいます(11:34)
この近くで水が湧いているからこんなに水が綺麗なのです。
🚲・・・
↓
17番目の駅は東久留米(11:39) ここは東京都東久留米市
住宅地ですが駅を挟んで南側に先ほど紹介した落合川、
北側には落合川が合流していく黒目川が流れており
のどかな風景とホッとする自然が楽しめる駅周辺です。
戦時中に東久留米駅から分岐して中島航空金属田無鋳鍛工場
までの引き込み線が存在していました。(2.84km)
この工場は中島飛行機の関連会社で
材料の砂を工場へ運ぶために敷かれていた。
工場跡地の敷地にはひばりが丘団地が建設されたので
建設の資材を運ぶためにこの専用線を利用したこともあった。
その後専用線は遊歩道と送電線に変わった。
この専用線を利用して京王井の頭線は吉祥寺から田無駅を経由し、
東久留米までの延伸の計画があったそうです。
駅前の観光案内にも湧水群の案内が掲載されています(11:40)
<次は清瀬に停車いたします>
🚲・・・
↓
黒目川を渡ります(11:45)
🚲・・・
↓
これは野火止用水。(11:49)
野火止用水は江戸の人口が増加したことによる用水確保のために造られた堀。
沿線をたどるルートはここでいったん埼玉県新座市入っています。
そして清瀬駅に近くづくと東京都に戻ります。
🚲・・・
↓
病院、福祉施設などが多くある印象があります。
昭和の初期に結核が再流行した際の受け入れ先がありませんでした。
そこで当時雑木林であった現在の清瀬駅南側に
診療所が次々に作られた。現在結核は治る病気ですが、
当時は不治の病と言われていて、
しかも結核菌に感染してしまうことで起きる病ということで、
り患者は避けられる。
そういう経緯があったのでここには受け入れるための
病院などの施設が多くあったんですね。
<次の停車駅は秋津>
🚲・・・
↓
今度は空堀川を渡ります(12:09)
なかなかいい景色ですね
🚲・・・
↓
19番目の駅は秋津(12:13) ここは東京都東村山市
両駅への乗り換えは徒歩5分ほどかかります。
新秋津駅を開設するにあたり、西武が連絡通路を設けるように
国鉄(当時)に交渉したが断られたようです。
そして仮に連絡通路が出来てしまうと
駅利用者が地元の商店街を利用する機会が減ることを
懸念して商店街が連絡通路を設けることに反対しているみたい。
駅利用者との利便性と相反してしまいますね。
難しい問題ですね。
秋津という地名もなんか興味があったので
由来を調べたら、由来の一つとして
川沿いの低湿地のことを「アクツ」よび、
そしてこれから渡る柳瀬川沿いにある低地になっている地域を
「あきつ」と呼ぶようになったとか。
<次の停車駅は所沢>
🚲・・・
↓
下に見える線路はJR武蔵野線です(12:17)
🚲・・・
↓
柳瀬川を渡ります(12:20)
🚲・・・
↓
所沢に近づいていますが、緑があってなかないい雰囲気ですね(12:24)
🚲・・・
↓
20番目の駅は所沢(12:34) ここは埼玉県所沢市
乗換:西武新宿線
なんとなく西武の街っていうイメージがあります。
西武鉄道の本社ビルもここ所沢にあるようです。
個人的にはホームに立ち食いそばの「狭山そば」がなんか印象的でした。
そういえば駅のホームにある立ち食いそば屋さんって
その戸を閉めると別世界に来た感じしませんか?
なんでホームで食事ができるんだって。
それで食べ終わって戸を開けたら目の前に電車が来ていて
何事もなく乗車する。
<次の停車駅は西所沢>
🚲・・・
↓
「幸運の赤い電車」(12:38)
🚲・・・
↓
カエル、フクロウ、サル?(12:46)*
🚲・・・
↓
21番目の駅は西所沢(12:54) ここは埼玉県所沢市
乗換:狭山線
西武ライオンズ球場は狭山線なのでこの西所沢駅で乗り換えることになる。
野球などイベント開催時は直通運転がさらに臨時増発される。
開業時は駅名が小手指駅でした。(1915年[大正4年]4月15日)
わずか半年で駅名改称
<次の停車駅は小手指>
🚲・・・
↓
西武線といえば黄色という印象を持っているそういう世代(13:05)
🚲・・・
↓
西所沢駅で触れました。
そうするとこの駅を小手指駅にしたかったから
西所沢駅に改称したのか?
という疑問が沸きます。
この小手指駅は信号所から昇格して1970年(昭和45年)に駅となった。
そういうことでもないような?
富士見台駅からスタートした今回の沿線サイクリングはここまで🚲
どちらかというと小さい網掛けの駅が今回訪れた駅です。
どちらかというと大きい網掛けの駅はこれまで訪れた駅です。
残りが9駅となりました。
次回で西武池袋線 沿線サイクリングは完結できたのかな?
この続きは西武池袋線 沿線サイクリング④に続く🚲
コメント